写真:結婚相談室ひまわりが位置する埼玉県川口市駅前。「ほど良い規模なので気に入っています。人情もある町です」(城畑さん)。
飛び込み営業で入った結婚相談所を引き継ぐことに
飛び込み営業で入った先の結婚相談所をなぜか引き継ぐことになった男性がいる。2017年3月までは京都にある食品関連会社で営業マンを21年間もしていた城畑久弘さんだ。製薬会社に勤める妻の転勤で東京都北区に引っ越すことになり、家庭を守るために自分は会社を退職。結婚相談所への転職もしくは独立を視野に入れて、婚活関連ビジネスのセミナーに通っていた。
「営業マン時代からいろんな人を引き合わせるのが好きで、そのうち6組は結婚しました。これは仕事にできるかもしれないと思ったのです」
セミナーの宿題に「自宅の近所にある結婚相談所を回って提携を申し入れる」という無茶なものがあった。営業マン経験が長い城畑さんは愚直に実行。3軒目に訪れたのが北区に隣接する埼玉県川口市の「結婚相談室ひまわり」だった。
「80歳のおばあちゃんが応対してくれて、『提携なんかよりもうちを引き継いでくれないか』と頼まれました。1995年に開業して、亡きご主人と一緒にやってきたものの、自分も高齢で入退院を繰り返すようになった、辞めたいけれど会員さんのことが心配だ、というのです」
城畑さんはその場で「私が引き継ぎます」と宣言。良く言えば柔軟、悪く言えばリスキーな即断である。
「大手の結婚相談所に転職してサラリーマンを続ける選択肢もあったんですけど、40代半ばで一度はチャレンジしてみようかなと思いました。面白そうですしね」
結婚した後に幸せになってもらうために
引き継いだのが10月。最初から順調だったわけではない。約20人の会員に信用してもらえず、半数からは面談を拒否された。城畑さんは「先代」であるおばあさんに相談し、一人ずつに丁寧な手紙を書くことに。すると、ほとんどの会員が会ってくれた。城畑さんの誠実で粘り強い性格が現れているようなエピソードである。
その後、成婚者も出るようになり、口コミやホームページ経由での新規会員も増えた。現在の会員数は25人。城畑さんは「最大でも30人まで」と感じている。
「うちの特徴は1対1で懇切丁寧に対応して、結婚した後も幸せになってもらうことです。特に女性と話した経験が少ない男性とはしっかり向き合い、女性の気持ちがわかるようなコミュニケーションスキルを身に着けてもらうことを重視しています。それがないと、結婚した後も幸せにはなれませんから」
この方針の裏側には城畑さん自身の苦い思い出がある。子どもの頃から身長が高くて運動神経もいいほうだった城畑さんは自分を見つめて努力することを怠り、高校生から20代半ばまで長い長いスランプを経験した。
「恋人などはまったくできず、仕事でも叱られてばかり。うまくいかないことを常に誰かのせいにしていました。あまりにうまくいかないので、考え方と態度を変えるように心がけたんです。すると、少しずつ状況が好転し、友人の紹介で妻と出会うこともできました。大人しいけれど芯が強い女性です。29歳のときに結婚し、長女と長男に恵まれました。私を選んでくれた妻には今でも感謝しています」
愛妻家にして2児の父。「料理とPTAは私の担当です」
京都での会社員時代から、家事と育児は積極的に分担していたという城畑さん。一人で結婚相談所を運営している現在は、家族のためにさらに時間をとれるようになった。料理は買い出しから3食とも城畑さんの担当で、PTA活動にも役員として参加。小学校6年生の長男が入っている少年野球チームのコーチとしても忙しい。結婚相談所経営が軌道に乗った今も、障がいを持つ子どもが通う児童館でのアルバイトを続けている。
自分自身が若い頃に10年近くのスランプを経験した城畑さんには信念がある。人間が持つ無限の可能性を信じる、という力強いものだ。
「今まで物事がうまくいかなかったとしても、これからの人生もすべてうまくいかないと決まったわけではないのです。結婚だって50代半ばで初めてできる人も少なくありません」
城畑さんは「ご縁がある人なら誰でも」という姿勢で会員を受け入れている。障がいや病気を抱える人も歓迎だ。何年も婚活をして気落ちしている人には、否定をせずに寄り添い、少しずつうまくいくように辛抱強く伴走。ただし、お見合いや結婚は相手があることなので、約束を簡単に破るような人だけは厳しく指導する。
真面目すぎる優しいお父さんのような雰囲気の城畑さん。青春時代の苦しい思い出があるからこそ、人は変われるという信念は揺るがない。そして、友人や妻に感謝しつつ、家族と地域社会にたっぷり関わる生活の充実がある。そんな城畑さんと知り合いになると「いいこと」ばかりが起きる気がした。 (取材日:2018年10月25日)
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※本記事は結婚相談所比較申込サイト「こんかつ山」で掲載していたものです。サイトの閉鎖に伴い、関係者の許可を得て、本ホームページに転載します。記事内容は取材当時のものです。
著者プロフィール
- 1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。男三人兄弟の真ん中。一橋大学法学部を卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社して1年後に退社。編集プロダクションを経て、2002年よりフリーライターになる。
高校(武蔵境)・予備校(吉祥寺)・大学(国立)を中央線沿線で過ごし、独立後の通算8年間は中央線臭が最も濃いといわれる西荻窪で一人暮らし。新旧の個人商店が集まる町に居心地の良さを感じていた。今でも折に触れて西荻に「里帰り」している。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。昭和感が濃厚な黄昏の町に親しみを覚えている。月のうち数日間は東京・門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験中。
2019年、長期連載『晩婚さんいらっしゃい!』により東洋経済オンラインアワード2019「ロングランヒット賞」を受賞。
<著書>
『30代未婚男』(リクルートワークス研究所との共著/NHK出版 生活人新書)
『ダブルキャリア』(荻野進介氏との共著/NHK出版 生活人新書)
『バブルの遺言』(廣済堂出版)
『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』(ぱる出版)
『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(ぱる出版)
『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)
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